周辺スポット

寺町界隈の名所旧跡などをご紹介いたします。

革堂〔行願寺〕 (こうどう ぎょうがんじ)

西国観音霊場第19番札所

革堂〔行願寺〕
日本最古の巡礼である西国三十三所観音霊場の第19番札所。日々多くの参拝者が訪れる。
寛弘元年(1004)行円上人により一条小川に創建された。
「革堂」の名は、上人が夏でも常に鹿皮の衣を着ていて「革聖」と呼ばれたことによる。
現在の地に移ったのは宝永5年(1708)。本堂は文化12年(1815)に再建され、堂内には上人作と伝わる本尊の千手観音像菩薩が安置されている。
ちなみに、烏丸の六角堂(頂法寺)は18番札所であり、室町期にはともに町衆の会合場となっていた。

一保堂茶舗 (いっぽどうちゃほ)

京都の老舗茶舗

一保堂茶舗
享保年間創業の老舗日本茶専門店。
享保2年(1717)、近江出身の渡辺伊兵衛が寺町二条に茶と茶器を扱う店として「近江屋」を出したのが始まり。
屋号の「一保堂」は弘化3年(1846)、山階宮より「茶、一つを保つように」として賜ったもの。
抹茶、玉露、煎茶、番茶など日本茶全般を取り扱う。
また、店内に併設された喫茶室「嘉木」では、好きな茶葉を選び自分でお茶を淹れて味わうことが出来る。

藤原定家京極邸趾 (ふじわらのていかきょうごくていあと)

百人一首撰者の邸宅趾

藤原定家京極邸趾
鎌倉初期の公家・歌人である藤原定家(1162〜1241)の邸宅跡。定家は藤原俊成の子として応保2年(1162)生まれる。
若くして歌才に秀で、後鳥羽上皇より『新古今和歌集』の撰者のひとりに任命される。
晩年には『新勅撰和歌集』『小倉百人一首を』を撰出。
また、18歳からの56年間を克明に記した日記『明月記』は国宝に指定され、分家の1つである冷泉家に保存されている。

囲碁(本因坊)発祥の地 (いごほんいんぼうはっしょうのち)

囲碁の名人僧日海の居住跡

梶井基次郎『檸檬』の果物屋
囲碁の名人であった僧日海(1世本因坊算砂)の居住跡。
日海(1559〜1623)が住職を務めた寂光寺の塔頭のひとつに本因坊があり、ここを本居としていました。
寂光寺は1708年の宝永の大火で焼失した後、仁王門通東大路西入に移転し再建されました。
現在、寺町の跡地には本因坊を解説した駒札と石製の碁盤が設置されています。

本能寺 (ほんのうじ)

歴史の転換点となった寺

本能寺
日隆上人により応永22年(1415)、油小路高辻に創建された本応寺が前身。「本能寺の変」が起こった天正10年(1582)には四条西洞院にあり、現在地に移ったのは秀吉の寺社整理による天正17年(1589)。
現在の本堂は昭和3年(1928)に再建されたもの。境内には、信長や側近の森蘭丸らの供養塔がある。
ちなみに本能寺は幾度も火災に遭ったため、「能」の字の右側が「ヒヒ」と重なるのを嫌い、代わりに「去」という字を当てている。
6月の第1土、日曜には「信長まつり」が開催される。